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福岡地方裁判所 平成元年(行ウ)11号 判決 1991年5月23日

原告

佐々木興産株式会社

右代表者代表取締役

佐々木悟

右訴訟代理人弁護士

石田市郎

被告

村上友巳

右訴訟代理人弁護士

小宮学

右同

江上武幸

主文

一  原告、被告間の別紙物件目録記載の物件についての鉱害賠償に関する裁定申請事件について、九州地方鉱業協議会(第二四九裁定委員会)が平成元年三月三一日付けでした裁定を取り消す。

二  別紙物件目録記載の物件について、原告の被告に対する鉱害賠償債務が存在しないことを確認する。

三  訴訟費用は被告の負担とする。

事実及び理由

第一請求

主文二、三に同じ

第二事案の概要

鉱害賠償に関する裁定機関である九州地方鉱業協議会(第二四九裁定委員会)は、被告から石炭鉱害賠償等臨時措置法(以下「法」という。)一一条の二の規定に基づき、鉱業権者である原告を被申請者として、被告所有の本件建物について、鉱害賠償請求権の存在確認の裁定申請がされたのに対し、平成元年三月三一日、これを確認する旨の裁定を行った。

原告は、これを不服として、被告を相手に、同年六月五日、法一一条の六に基づき、右裁定の取消し(後記第三の二、3参照)、鉱害による賠償債務の不存在確認を求めた(以上、当事者間に争いがない。)。

一当事者間に争いのない事実及び証拠上明らかな事実

1  本件建物には、その敷地(以下、「本件土地」という。)の建物床下に相当する部分の陥没、沈下に伴う建付不良等の損傷が存在する(<証拠>)。

2  本件に関連して原告の所有する鉱業権は、福岡県採掘権登録(福採登)第二〇二九号鉱区であり、同区の炭層は一〇数層に重層していて、地下二〇メートル以深に限ってみれば、昭和一七年から三八年にかけて内六層が前々鉱業権者三菱鉱業株式会社及び原告により掘採されている(<証拠>)。

法四条四、五項の規定に基づき通産大臣が定めた「鉱害賠償積立金算定基準」4による「鉱害量算定要領」の「鉱害の範囲及び安定期の時期」に関する基準(いわゆる「安定基準」と呼ばれるもの。)に従うと、右掘採のうち、本件土地・建物に影響を与え得る石炭掘採は、昭和二六年から二八年にかけて三菱鉱業がした三尺五尺層中の七隔三尺層本層の掘採のみである(<証拠>)。

3  本件建物の直近約二メートルの地点で実施した試すい結果では、地表下約二九ないし三三メートルの間で、七隔三尺層本層の掘採跡(古洞)が確認されている(<証拠>)。

4  原告は、同鉱区の鉱業権を三菱鉱業から福菱鉱業株式会社を経て、昭和三八年一二月二七日に取得した(<証拠>)。

5  被告は、当時本件建物所在地を管轄する警察署勤務の警察官であったが、福菱鉱業の時代から、便宜を受けて炭鉱敷地内の社宅であった本件建物に居住していたところ、原告社宅の社員らへの一斉払下げに際し、被告も払下げを受けることになり、昭和三九年七月二五日付け売買契約により、同年一〇月三〇日、本件建物及びその敷地である本件土地の所有権を取得した。右売買契約においては、いわゆる「鉱業打切賠償」の合意もされた(<証拠>)。

6  本件裁定が原告の鉱害賠償債務の存在を肯認した理由の要点は、次のとおりである(<証拠>)。

(一) 前記3のとおり、試すい結果からすれば、本件建物の地表下浅所部に原告の前々鉱業権者三菱鉱業による七隔三尺層本層の掘採跡が存在し、そこに浅所陥没が発生した可能性があるとされていることから、本件建物の敷地についても、前記安定基準による安定期間の経過にかかわらず、その後に浅所陥没が発生した可能性がある。

(二) 本件建物の床下に見られる陥没現象は、右層の掘採の影響により、被告が本件建物の払下げを受けた昭和三九年七月以降、即ち前記鉱害打切賠償の合意の後に発生したものと判断する。

(三) 右の浅所陥没は、同売買契約締結の時点では、予測できなかった損傷であり、本件鉱害打切賠償の合意内容には含まれていないと判断するのが相当である。

二主たる争点

1  本件建物の損傷の原因が、被告への同建物払下げ後にその床下(敷地部分である本件土地)に発生した浅所陥没によるものか、原告が主張する建物の老朽化によるものか。

2  仮に、浅所陥没によるとしても、それによって本件建物に発生した損傷が、前記鉱害打切賠償の合意の対象に含まれていたか否か(被告は、当時右の陥没の発生は当事者に予測不可能であって、右合意の対象に含まれないと主張する。)。

第三争点に対する判断

一争点1について

本件建物の損傷が原告主張の老朽化によるものと認めるに足りる証拠はなく、前記第二の一の2及び3に記載の事実を考慮すれば、同1の床下の陥没ひいては本件建物の損傷も、原告の前々鉱業権者三菱鉱業の掘採した七隔三尺層本層の掘採跡により生じた浅所陥没の影響によるものと認定できる。また、右陥没の発生時期については、本件裁定書(<証拠>)記載の理由、被告本人尋問の結果及び弁論の全趣旨に照らし、被告への払下げの後であると推認するのが相当である。

二争点2について

1  証拠(<省略>)によれば、次の事実が認められる。

(一) 本件売買契約における鉱害打切賠償の合意条項は、「本件売買契約により、被告の権利に属する本件建物、並びに本件土地上の既存及び将来の増改築によるその他の工作物に対し、本件土地・建物の地下に賦存する地下掘採及びその他鉱業上の作業のため『既に発生し、又は将来発生することがあるべき』(地下掘採による)法律上原告の責に帰すべき鉱害について、被告は、将来、その補償を原告に対して要求せず、原告が(相当額を支払って)右賠償義務なき旨の打切賠償を定めたことを認諾する。」という主旨のものであった。

(二) 本件売買契約の締結と同時に、右合意条項にいう「相当額」に関する「覚書」が作成され、本件土地・建物の譲渡価額二九万四二五〇円(坪単価・建物四七〇〇円、土地七〇〇円)、鉱害予定賠償額九万四二五〇円、差引譲渡価額二〇万円とされた。右賠償価額は、その譲渡価額の約三分の一に相当するものであり、本件土地価額に限ってみれば、その四六パーセントにも相当する額であった。

(三) 本件建物及びその敷地の売買は、前記のとおり、原告鉱区の閉山に伴う社宅払下げの一環としてされた。当時原告の社員でもなかった被告に対しては、警察官であったゆえにその居住を許容されていたという経緯から、その社員らに対するとほぼ同様の売却価額・条件で払い下げられたもので、その価額は、社員らに対する恩恵的な意味合いでかなり格安であった(右に反する被告本人の供述は、確たる根拠もなく、社会通念上も妥当せず、また証人後藤及び同日野の証言に照らし、採用しない。)。

(四) 本件鉱害打切賠償の合意は、閉山に伴う社宅の社員らへの払下げという経緯(いわゆる「自家賠償」になる。)、売却価額、その立地条件などから、現在及び将来の一切の鉱害賠償請求権を放棄する意味合いを強く持つもので、右払下げに際し、原告会社側は右の放棄を必須の条件として売却したもので、その際、譲受人らに対しても右の趣旨が周知・徹底されたうえ売買契約が締結されるという経緯にあった。

(五) 原告が本件鉱区を掘採したのは、前述のとおり、昭和三八、九年のみで、以後閉山してその後の掘採は皆無である。

しかも、右の掘採は、本件土地・建物には影響のない箇所でのものであったし、払下げ以前でかつ本件売買時と時期的に最も近接した掘採でも、一一年も前の昭和二八年までであった。したがって、売買時点においては、浅所部分での掘採を除き、その地下掘採による本件土地・建物等地表への影響は完全に安定時期(発生時期は掘採後最長三年である。)に入った後であったから、鉱害が発生するとすれば、昭和二八年以前の掘採による浅所陥没のみが残された問題となるだけであった。

(六) 鉱害打切賠償は、現に鉱害が発生していることから、その賠償を求めて交渉が開始されるのが通常の形態であるが、本件の場合は、その合意時点で、本件土地・建物について特段の鉱害による損傷が発生していたわけではなく、したがって、将来生じるべき鉱害に関する限りの合意がされたものである。しかも、原告は、本件鉱区においては、その閉山に伴って以後掘採する予定はなく、したがって、本件土地・建物に影響がある掘採は、前記のとおり、安定基準による安定期をはかるに経過した昭和二八年以前のもののみであったから、本件鉱害打切賠償は、その対象として、浅所陥没による損傷以外には考慮しえない状況のもとで締結されたものである。

(七) 結果的にも、鉱害により本件土地・建物に生じた損傷について、鉱業権者として原告が賠償責任を負うべきものは、前記七隔三尺層本層の掘採に伴う浅所陥没による損傷以外には存在しなかった。

以上の事実からして、本件鉱害打切賠償の合意には、前記合意条項に言う『将来発生することがあるべき』鉱害として、前記浅所陥没によるそれも合意の対象に含まれるものと解するのが相当である。

2  右に反し、本件裁定は、右浅所陥没による損傷の発生が、契約当事者の予測不可能な事態として、これを右合意の対象外とし、被告もこれを援用する。

裁定書が、その予測不可能とする理由は、本件建物の損傷が、その「地表下浅所部に賦存する七隔三尺層本層の掘採に起因したこと」即ち「浅所陥没」によるもので、「(本件の)陥没現象は、……(原告が本件建物の)所有権を取得した以降に発生したものと考えられる」との点のみである(<証拠>)。右の問題は、浅所陥没についての予測可能性に集約されると思われる。

そこで、この点を検討するに、証拠(<省略>)によれば、次の事実が認められる。

(一) 「浅所陥没」とは、地表下三〇メートル(稀には五〇メートル)以浅の炭層で、前近代的な掘採方式(残柱式、柱房式等)でされた掘採跡の直上の地表に発生する局所的な陥没現象であり、気候、地質、地層の状況等諸々の事象に左右され、時には掘採後数十年経過して発生することもある(近代的な長壁式掘採では、長くても三年以内しか発生しない。)など、その発生時期が予測不可能であり、安定基準の適用が不適切なものとされる。炭層が重層構造をなす筑豊地方では、浅所陥没は頻繁に起こる現象である。それ故にこそ、鉱害賠償責任を一挙に片付ける必要から、多くの場合、復旧工事による損傷の回復よりも、将来分を含めての打切賠償契約が締結されるようになった。

(二) もっとも、「浅所陥没」という用語自体は、専門的用語であり、炭鉱での鉱害担当係員でも、昭和二三年以降にその言葉を知った程度であって、筑豊地区の炭鉱周辺に居住する一般の人々にまで広く知れ渡っていたわけではない。しかし、その人達も、概念用語としての「浅所陥没」やその機序は知らなくとも、筑豊地区で頻繁に発生していた浅所陥没現象の存在自体についての認識を有していた。

(三) 少なくとも、鉱業権者側においては、通常炭層の重層及び掘採の各状況を十分把握しており(これを被害者側に情報提供するものとは限らないが、)、右状況を当然の前提とし、打切賠償額についても炭層等の状況に応じて浅所陥没を含めた陥落度を割り出すなどして試算した上で打切賠償の交渉に入り、契約締結をするのが通常であり、本件もその例外ではなかった。

(四) 前記1の(六)のとおり、本件土地・建物の打切賠償は、閉山による社宅払下げに伴ってなされたもので、第三者所有の農地や宅地等について通常されるような、既発生の鉱害による損傷の存在を前提にし、将来分を含めて賠償交渉が開始されたのでなく、将来生じることのある鉱害に関する限りのものであった。他方、原告には、本件鉱区での将来の掘採予定もなかったものである。したがって、本件土地・建物には既存の鉱害はなく、また、将来発生する鉱害とすれば、払下げ以前の掘採による浅所陥没に起因するもの以外には考えられない状況下で合意されたものである。

右の事実並びに前記1の各認定事実に照らせば、本件打切賠償に際して、被告が、前記七隔三尺層本層の掘採に起因して本件土地・建物に浅所陥没が発生するという具体的状況や機序までも予測できたとは考えられない。

しかしながら、前記1の(三)ないし(七)、2の(四)にみられる本件打切賠償契約の経緯、特殊性、特に、買受人にとっても、その地下に重層する炭層の掘採跡が存在することが明白な社宅の払下げであり、何らかの鉱害の発生を予測したからこそ本件打切賠償の締結がされたものであるし、被告は右のような賦存条件のある本件土地・建物を新規に取得するものでもあったこと、その賠償額の右土地等の売却価額に対する比率がかなり高率であったことなどに鑑みると、被告を含めて同時に払下げを受けた原告の社員らにおいて、当該鉱区の鉱業権者等が過去に行ったいずれかの地下掘採によって、将来、本件土地に陥没等の損傷が生じ、これによって本件建物に前記のような損傷が発生するであろうこと、したがって、これが本件打切賠償の対象とされていることについては、十分予測し、又は予測が可能なことであったと推認することができる(本件の場合、そのほかにどのような掘採による鉱害が予測され、又は予測可能であり、本件賠償の対象となるのかを想定するのは、容易ではないと思われる。)。

右の事情や打切賠償の本来的意義及び締結の趣旨からすると、本件鉱害打切賠償の対象として被告が予測し又は予測し得た内容としては、右のようにある程度具体性、個別性に欠けるところがあったとしても、その程度で不十分ともいえず、その発生原因となった炭層やその掘採、それによる陥没の機序等まで具体的に予測し、予測し得たことまで必要とするものではないと解する。また、前記打切賠償額は、本件土地・建物の売却価額に対する比率からしても不当に低額ということはできない。

3(一)  なお、法の定める鉱害賠償に関する裁定制度は、本来司法判断に委ねられるべき鉱害賠償という私法関係の争いにつき、鉱害の総合的計画的復旧を促進する等の目的のため、簡易迅速な解決を図る必要のある鉱害紛争を対象として、実効性があり、かつ時間的経済的負担の少ない紛争解決手段を設ける趣旨で制度化されたものである。

法が、第三者的立場から公正な裁定が行われるように鉱業に関する学識経験者等で構成される地方鉱業協議会に裁定権限を付与し、かつ、裁定を行うため必要があるときは、聴聞のほかに、当事者又は利害関係人から報告等を求めたり、実地調査を行うことを認めている(法一一条の七)ことからすると、鉱害の存否、その原因に関する事実認定については、地方鉱業協議会の専門技術的判断を尊重すべきものと解する余地があるが、右認定事実を前提とした上での専ら法的責任の存否(当事者の処分によるその消長を含む。)に関する認定判断については、本裁定制度が前記のとおりあくまでも私法上の責任に関するものであり、民事訴訟手続等の優先(法一一条の二ただし書、一一条の三第一項)を前提としたものである以上、その判断に行政的裁量を許容する余地はないものというべきである。

(二)  また、鉱害賠償請求権は実体法上鉱害の発生という事実によって客観的に発生しているものではあるが、民事訴訟手続、民事調停手続を経ることなく、一旦地方鉱業協議会により鉱害賠償請求権の存否、額等を公権的に確定する裁定がされた以上、裁定には公定力、不可争力が発生してくるのであって、裁定に対する出訴期間内の法一一条の六の規定に基づく不服の訴え(以下単に「不服の訴え」という。)によらなければこれを免れることはできない。したがって、不服の訴えが、いわゆる形式的当事者訴訟であり、その実質は裁定に対する一種の抗告訴訟であって、裁定の右のような効力の排除を目的とした訴訟であることは否定できない。

しかし、一方、一旦不服の訴えが提起されたならば、そもそも対象が本来裁判所が直ちに司法判断をなし得る紛争であり、簡易迅速な行政機関による裁定手続という制度目的も既に後退したといえるから、当該訴訟の中で紛争の全面的かつ終局的解決を図ることが、被告を賠償当事者とした法の趣旨により適合するものと解される。したがって、裁定を不服とする当事者は、裁定を取り消すとともに、鉱害賠償債務の存否を確認したり、賠償として一定額の金員の支払を求めたりする形で訴えを提起でき、裁判所も、裁定を取り消した後、再び地方鉱業協議会の裁定を待つのではなく、また、取消判決の確定を前提として確認、給付の判決をするのではなく、直ちに鉱害賠償債務の存否確認又は給付の判決をすることができるものと解すべきである。すなわち、確認又は給付を求める部分は裁定の取消しを前提とした関連請求(給付については将来請求となる。)として許容されるのではなく、本来この訴えの予定している請求内容であり、判決においては裁定取消しと同時に即時給付の主文を掲げることができるものと解するのが相当である。

なお、裁判所が不服の訴えに対し裁定と異なる内容の確認又は給付の判決をした以上、判決は裁定に当然優先し、裁定は判決内容に抵触する限りで取り消されたものと解することもできるが、裁定の取消しのみを求める訴えも必ずしも常に訴えの利益がないとまではいえず、一方、不服の訴えの提起、これに対する判決の言渡、あるいはその確定があれば当然に裁定が失効する旨の明文規定もないことからすると、判決主文においても、外形的に存在する裁定の効力の消長を明らかにする趣旨で裁定を取り消す旨の主文を確認又は給付の主文と併せて掲げるのが相当と解される。

(三)  本訴において、原告は鉱害賠償債務の不存在確認のみを請求の趣旨として掲げているが、原告が不服の訴えとして本訴を提起していることは明らかであり、右請求の趣旨には裁定の取消しを求める趣旨が当然包含されていると解することができる。

三右によれば、本件裁定には事実の認定・判断の誤り、ひいてはその結論を過った瑕疵があって取消されるべきであり、本件建物の損傷について原告が鉱業権者として法律上負担すべき賠償責任は、当事者間に締結された本件鉱害打切賠償の合意によって消滅して存在しないものと認めるのが相当である。

(裁判長裁判官川本隆 裁判官川神裕 裁判官佐々木信俊)

別紙<省略>

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